2012年09月27日
森 暉昌さん
浜松市中区利町 にある五社神社
その近くに、いつも気になる建物があります
塀に囲まれた広い敷地
南にまわってみると…

「森暉昌邸跡」という 石碑
調べてみました
「森 暉昌(もり てるまさ)」
1685-1752 江戸時代中期の国学者。
森家は代々五社神社の神官をつとめてきた旧家で、
暉昌は、京都の荷田春満(かだの あずままろ)に師事して国学を学び、
国学者として、また歌人として大成した
若い頃の賀茂真淵(かもの まぶち)の師でもある
宝暦2年6月14日死去。享年68歳
とのこと
浜松市内、こういった石碑をあちこちで見掛けることができます
改めて、歴史ある街なんだな
末裔は、今どうされているんだろう…
お 願 い ∴ ∴ ∴ ∴ ∴ ∴ ∴ ∴ ∴ ∴ ∴ ∴ ∴
先日のシャンソンコンクールの日、
会場のアクトシティ浜松・音楽工房ホール入り口の傘立てに立てておいた
傘が、帰りになくなっていました
16本骨紫色の傘です
傘など、いくらでもある…と思われるでしょうけれど
静岡の母からの、大切な傘です
どうか、間違えて持って行かれた方
そっとご返却くださいませ…オネガイ*
∴ ∴ ∴ ∴ ∴ ∴ ∴ ∴ ∴ ∴ ∴ ∴ ∴ ∴ ∴ ∴
その近くに、いつも気になる建物があります
塀に囲まれた広い敷地
南にまわってみると…

「森暉昌邸跡」という 石碑
調べてみました
「森 暉昌(もり てるまさ)」
1685-1752 江戸時代中期の国学者。
森家は代々五社神社の神官をつとめてきた旧家で、
暉昌は、京都の荷田春満(かだの あずままろ)に師事して国学を学び、
国学者として、また歌人として大成した
若い頃の賀茂真淵(かもの まぶち)の師でもある
宝暦2年6月14日死去。享年68歳
とのこと
浜松市内、こういった石碑をあちこちで見掛けることができます
改めて、歴史ある街なんだな
末裔は、今どうされているんだろう…
お 願 い ∴ ∴ ∴ ∴ ∴ ∴ ∴ ∴ ∴ ∴ ∴ ∴ ∴
先日のシャンソンコンクールの日、
会場のアクトシティ浜松・音楽工房ホール入り口の傘立てに立てておいた
傘が、帰りになくなっていました
16本骨紫色の傘です
傘など、いくらでもある…と思われるでしょうけれど
静岡の母からの、大切な傘です
どうか、間違えて持って行かれた方
そっとご返却くださいませ…オネガイ*
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